対談

【収録 2011年12月09日(金)】

第2回「被災地が復興に至る道」とは 1 / 2

ジャーナリスト/メディア・アクティビスト

津田 大介 氏

ジャーナリスト/メディア・アクティビスト。1973年生まれ。東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。2012年4月より関西大学総合情報学部特任教授。早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース非常勤講師。一般社団法人インターネットユーザー協会代表理事。J-WAVE『JAM THE WORLD』火曜日ナビゲーター。IT・ネットサービスやネットカルチャー、ネットジャーナリズム、著作権問題、コンテンツビジネス論などを専門分野に執筆活動を行う。ネットニュースメディア「ナタリー」の設立・運営にも携わる。主な著書に『Twitter社会論』(洋泉社)、『未来型サバイバル音楽論』(中央公論新社)、『情報の呼吸法』(朝日出版社)など。

第2回目のお相手は、メディアアクティビストの津田大介さんです。 津田さんとは、経済学者の田中秀臣さんのご紹介でお会いしました。かつてならジャーナリストと括られていた情報収集と発信活動について、「メディアアクティビスト」として区別されているように、ご自分をコンセプチュアルに位置づけておられ、「自分が何者であるか」をよくご存知の方です。
この対談は、津田さんのメールマガジン『メディアの現場』vol.23に掲載されたものです。お互いに2011年の東日本大震災被災地に足を運んでいることもあり、復興にまつわるお話を中心にさせていただきました。
それでは、“生きる媒体”津田大介さんとの対談をお楽しみください。

 

「被災地が復興に至る道」とは -Part1-

「津田大介の『メディアの現場』」vol.23より転載(構成:松本香織)-

 

津田:

ここが「ホテルアジール・奈良」ですね。川井さんが奈良の観光を再生させるための第一歩として初めて手がけ、『ミシュランガイド京都・大阪・神戸・奈良2012』に掲載されたという。ガイドに「木の温もりが心地よい館内。ロビーの『囲炉裏の間』は、モダンな田舎家のような設えだ」と書いてあるとおり、温かみがあって、本当に落ち着く空間ですね。

 

川井:
ありがとうございます。「アジール」という言葉はギリシャ語で「避難所」という意味なんです。現代の生活に疲れた人たちにとって、いつでも駆け込める癒しの空間であってほしいという願いを込め、この名前をつけました。お客様をここでお迎えし、お話しするのが私の夢だったんですよ。津田さんがその第一号ということになりますね。だから、今日はとてもうれしいんです。

 

津田:
実は僕、奈良は最後に来たのが中学の修学旅行の時で、あまり記憶がないんです(笑)。でも、独特の都市計画が残っている都市だとか……。

 

川井:
そうですね。奈良には古いものが残っていて、それだけで差別化できるんです。ほかの地域にはない、珍しいものがあるからこそ、人は観光しに来るわけですから。――この囲炉裏の間にも、一度外国人の方々に来ていただいたことがあるんですよ。その時、中国のメディアの方が「失くしてしまった、懐かしいところに戻って来たような気がする」と言ってくださったんです。 極めて特異な空間なんでしょうね。

 

津田:
川井さんのご著書『不動産は「物語力」で再生する』を読ませていただきました。とても面白かったです。1997年、39歳の時に傾きかけた不動産会社を引き継ぎ、不良債権化した不動産を物語力で蘇らせることで、会社の経営を立て直していく。その過程に加え、川井さんみずからが自身の身に降りかかった遺産争いや闘病生活、離婚を乗り越え、人生を再生させていく様子が綴られていて――面白いんだけど、その面白さを一言で表現するのが難しい本だなとも思いました。

 

川井:

ありがとうございます。リアルの出来事を時間軸にそってお話ししていますが、伝えたいテーマが複雑に入り組んでいて、どうしたらきちんと伝えられるだろうと悩みました。大きなテーマの一つに、「ゲニウス・ロキ(geniusloci)」があります。「土地の物語を読み解くこと」「水面下の大きな部分」と説明している「物語」のことをローマ神話では、「ゲニウス(守護霊)とロキ(場所)」といいます。現代日本においても、家を建てる時に、地鎮祭を執り行いますよね。しかし、なぜそれを行うかについては、議論することはない。 地を鎮める儀式に埋め込まれた精神は、現代の日常生活とずいぶん乖離しています。しかし、完全に失われたわけではありません。非常に深層にあって、普段は意識できていないだけ。「儀式を執り行う」というかたちの中で、おぼろげながら見えてくるものです。そういった歴史や伝統といったものに潜む物語について、現代人は捉える力を失いつつあります。だからこそ、地の神様として表現される「何ものか」を、今を生きる人々に抵抗なく伝えることが難しかったのです。我々自身、そういったトレーニングをしてきませんでしたから。それだけに、言葉としていかに伝えていくか、ということが大きな問題でした。

 

津田:

タイトルにも入っている「物語力」という言葉を見て思ったのですが、川井さんは何かをやる時、徹底的に調査するじゃないですか。たとえばこの本には、京都南禅寺にある荒れ果てた名庭「何有荘(かいうそう)」を立て直し、世界最高峰のオークションハウス「クリスティーズ・グレート・エステート」に出品してIT企業オラクルの創業者ラリー・エリソン氏が落札する、というエピソードが出てきます。 この時は、植治や日本庭園に関する書籍、同庭の初代所有者で戦前を代表する経営者だった稲畑勝太郎に関する書籍など、たくさんの文献にあたったそうですよね。 それはジャーナリストっぽいな、って。

 

川井:
「調査してからでないと買わない」というわけではないんですよ。何有荘の場合は、買ってから価値を上げるために調査したんです。 やっぱり物事を深く知らないと、緻密な戦略は立てられないのかな、というのはあります。

 

津田:
僕は3.11以降、被災地を何度か訪れているんですね。どこも復興に向けて動き出してはいるけれど、今一つうまくいっていない。そこで今日は、不動 産やまちづくりをよく知っている川井さんに、被災地の復興に役立つアイデアをいただけるといいなと思っています。川井さんは奈良にお住まいですよね。
ということは、震災当日は、特に影響がなかった?

 

川井:
いえ、震災当日は奈良ではなく、東京にいたんです。仕事の関係で、ホテルで人と打ち合わせをしていた時にグラッと来ました。たまたま打ち合わせ の相手が建築関係の方で、「ここのホテルが潰れたら、東京中の建物が潰れる。
だから絶対安心。慌てないで大丈夫」と言ってもらえたんです。だから良かった。あの時は「ホテルっていうのは、すごい交流空間だな」と改めて思いましたね。そのホテルはフロアと地下鉄がつながっているものだから、帰宅難民の 人たちが何百人というレベルで集まってきたんです。ホテルは全然儲からないのに、彼らに毛布を配ったり、ロビーへの滞在を許している。震災のような非常事態が起きた時、ホテルのオーナーは、何をすべきか。自分自身、おもてなしの心――ホスピタリティについて改めて考えるいい機会になりましたね。

 

津田:
会社にはどうやって連絡を取ったんですか?

 

川井:
電話はまったくつながりませんでした。結局、東京で一番通じたのはメールだったんです。それで「私は無事だから心配しないでね」と携帯メールを 打ちました。奈良に帰ってからは、携帯メールを一斉配信できる緊急連絡システムを作るよう、スタッフに指示しましたね。私はおばさんだけど、早い段階からITを使っていて、うちの会社にもシステム部門があるんですよ。でも、震災当日、連絡手段としてツイッターがこんなに役立っていたとは思いませんでしたね。私は2011年の初めに、ようやく始めたばかりだったから。

 

津田:
ツイッターはリアルタイムな安否確認手段として役に立ちましたね。僕自身も家族の安否確認をDMで行いました。そして、震災後1か月間は事務所に こもり、ツイッターで情報を流していたんです。当時はデマが飛び交ったりして情報が錯綜していたんですよ。それでマスメディアによる報道を整理したり、記者会見の内容を全部拾ったりしていましたね。だけど忸怩たる思いもあるわけです。「パソコンに向かってこんなことやっていて、本当に役に立ってるのかな」って。その後、「現地取材に行かないか」という話があって、実際に行ってみたら、愕然としましたね。

 

川井:
どうしたんですか?

 

津田:
被災地の現状で伝えられていないことが、山ほどあったんです。「俺は1か月の間、ずっと情報と向き合って整理してきたけれど、あれは何だったん だ」っていうくらい。地震、津波、原発事故が一度に起こったから、取り上げなければならないトピックが多すぎるというのもあるんですけどね。朝日や読売のような大手新聞社は震災直後、それぞれ現地に100人くらいずつ記者を派遣していたんです。でも、向こうに行って記者と話をすると、紙面なんかの都合があって、10取材しても掲載されるのは、せいぜい1~2割だと。その落ちてしまった8割に、伝えなきゃいけないディテールがあると僕は思ったんです。

 

川井:
なるほど。

 

津田:
それに、震災から時間が経つにつれ、マスメディアは通常時のモードになっていっちゃって、被災地のことを報じなくなります。でもツイッターを使 えば、多くの情報を、継続して伝えられる。それは僕らみたいなフリーと、 現地の人でやるしかないんですよ。ツイッターをはじめとするソーシャルメディアを使って情報発信するためのワークショップを、被災地の方向けにこれからやっていきたいなと思っているところです。

 

川井:
私も被災地での活動をちょっと手伝っているんですよ。「被災地に交流の場を作ろう」と炊き出しキャラバンをやっている「いわて三陸復興食堂」
あれを京都と西宮で見てもらって、支援の輪をもっと広げていこうとしているんですね。きっかけは震災後、経済学者の飯田泰之さんが「被災地に行きませんか?」とツイッターで声をかけてくださったことです。その時、飯田さんがツイッターを通じてお友達になった永松伸吾さんという災害経済学の専門家も一緒だったんですね。永松さんは被災者自身に復興のために働いてもらい、それに対価を支払う「キャッシュ・フォー・ワーク」 という支援プログラムを推進しているんです。復興食堂の総合プロデュースを担当されている 松本哲也さんとは「キャッシュ・フォー・ワーク」の方を通じてお近づきになりました。考えてみると、きっかけはすべてツイッターなんですよね。 ツイッターでのコミュニケーションは、話が早いところがあります。顔を合わせたコミュニケーションに近いのかな、と。

 

津田:
お互いのツイートを見て何となく日常を知っているから、きっかけが 作りやすいところがありますよね。あと、さっきの話の繰り返しになりますが、ツイッターを使えば継続して情報発信ができるから、興味関心を失わせないことができるじゃないですか。僕はこれが被災地の復興に役立つと思っているんです。

 

川井:
それは具体的に言うと、どういうことでしょうか?

 

津田:
僕は10月3日、福島県のいわき市に取材に行って、ガツンと衝撃を受けたんですよ。いわき市の小名浜には「アクアマリンふくしま」という水族館があるんですね。この水族館は今回の震災で9割もの魚を失いました。そこで全国の水族館から魚を寄贈してもらって、7月に営業を再開したんですね。
>>アクアマリンふくしまが「復興ブログ」 地震当日の様子、水族館の今を発信(ITmedia)
>>戻った生命の輝き アクアマリンふくしま、7月15日再開目指す いわき市(MSN産経ニュース)
すごくいい話じゃないですか。マスメディアはこういうものを「美談」として取り上げます。 でも実際、営業はうまく行っているのだろうか。僕はそこが気になっていたんです。 蓋を開けてみたら、案の定厳しかったんです。再オープン翌月の8月は、アクアマリンふくしまにとって書き入れ時。いつもは20万人くらい来館するらしいんですよ。でも、今年は6万人に留まった。アクアマリンふくしまのある小名浜は、福島第一原発から 50~60キロ圏内ですが、放射線量はそんなに高くありません。けれど、わざわざ家族連れで被曝のおそれがある場所に行くかといったら、そうじゃないでしょう。

 

川井:
そうかもしれませんね。

 

津田:
それでやっぱり、報道のあり方について考えてしまったんです。マスコミが美談を取り上げるのはいい。でも、被災地を取り巻く厳しい現実っていうのも、それとは別に継続して伝えていくべきなんじゃないの? って。僕はそれをやるのがソーシャル・メディアかなと思っているんです。現地の人や被災地を訪れた人が、線量も含めた現状を伝えていく。そうやって人を戻していくことが大切なんだと思っています。

 

川井:
「被災地の人と情報発信」という話で言うと、津田さんが『思想地図β2』で書いていた「ソーシャルメディアは東北を再生可能か」という記事が、 とても印象に残っているんです。あの中には、「講」――古くからあるローカルな相互扶助団体のお話が出てきますよね。津波によって甚大な被害を受けた宮城県伊里前地区。そこにある「伊里前契約会」という講が、「契約会以外の世帯も含め、地区の住民ごと高台に移住する」という復興プランを自発的に打ち立てます。けれど、国が彼らの復興プランを採用するかといったら不透明だと。
津田さんは行政に頼れない状況下、ソーシャルメディアを使って外部と直接つながっていくことが、ローカルなコミュニティの自立・復興に向けた突破口になるのではないかと示唆していましたよね。あれはいいお話だなと思いました。
津田さんから「講」という言葉が出てくると思わなかったから、びっくりしましたけど(笑)。

 

津田:
僕も伊里前契約会で話を聞くまで、「講」の存在を知らなかったんですよ。もともとは福島県いわき市の豊間地区で取材していて、「高台に移住しようというプランがある」と聞いたんですね。「ほかにもやってるところはあるんですかね?」と訊いたら、「宮城県のほうでも似たようなことをやってるよ」と教えてくれたんです。それで取材に行って、講の話を聞きました。僕は東京出身なので、話を聞いていて、 驚きの連続でしたよね。伊里前契約会は、江戸時代に5人でスタートした講なんだそうです。そんな古くから続いていて、しかも「子孫しか入れない」ってどういうこと?と思いますよね。

 

川井:
実はこの奈良町にも、古くから続く講があるんですよ。春日大社の講だから「春日講」っていうんですけど。この講では、鹿が描いてある「春日曼荼羅」という掛け軸を拝んで、祭礼を行っているんです。曼荼羅は仏教のもの、鹿は神道のもの。つまり、一枚の絵の中で、神仏が違和感なく融合しているんですね。これが奈良という場所の心象風景なのかなと。

 

津田:
奈良はカルチャーミックスの町ですもんね。――講って聞けば聞くほど閉鎖的な組織なんだけれども、伊里前契約会は震災を機に、もう一度オープン になろうとしているんです。南三陸には高台がなくて、大津波に襲われても、逃げ場がありません。契約会も77世帯ある中、74世帯が流されました。そこで、契約会が高台に持っている土地を切り拓いて住めるようにすることになった。
しかも、今こんなことになってみんな困ってるから、契約会以外の人にも開放していこう、と。

 

川井:
それって原点回帰ですよね。江戸時代に入植した5人の方々がいる。そこに立ち戻って町を建て直そうという話だから。でも、それと同時に今の時代 を咀嚼し、生き抜いていく力が、そのコミュニティには備わっているような気がします。

 

津田:
そうですね。そういうコミュニティが自分たちの力で立ち上がるには、やっぱりツイッターみたいなソーシャルメディアで離れた場所にいる人、ほか のコミュニティとつながっていくことが必要なんじゃないかなと思うんですね。 同じく大津波で甚大な被害をこうむった岩手県の陸前高田市では、実際にツイッターを介して人々がつながって、津波が到達したラインを桜の木で結ぶ 「桜ライン311」[*1] というプロジェクトが始動しているんです。
ぶっちゃけ、行政の力にはあまり頼れないじゃないですか。だから僕はこうやって、コミュニティの人たちが自分たちの力で立ち上がることが必要だと思っています。さっきの高台移転の話で言うと、自分たちで自発的に復興プランを立てた伊里前契約会のほうでは、結構順調に進んでいるらしいんですよ。一方、国が主導している豊間地区のほうでは、予算がなかったりして全然進まず、住民もバラバラになりかけているという話です。割と対照的な感じになってきちゃってますね。

 

川井:
お話を聞いていると、「誰がまちを殺すのか」という問題があるような気もします。

 

津田:
これは本当に難しい問題ですよね。復興のスピードは、自治体によっても全然違うし。ただ、1999年に始まった「平成の大合併」で合併したところほど、機能不全を起こしているんです。あまりにも大きくなってしまったがために、きめこまやかなサービスができなくて、復興速度も遅く、住民の不満も溜まっていく。合併から逃れた「町」や「村」といった単位の地域――村長さんや町長さんにリーダーシップがあるようなところは、 結構きちんとまとまってるんですよね。豊間地区よりちょっと北のほう、津波被害がひどかった「久之浜」というところは、同じいわき市にありながら、結構団結しています。小学校のすぐそばに仮設商店街ができて、それによってみんながまとまり始めてる。
コミュニティを新しくデザインし直すにはどうすればいいか。そこで重要になってくるのが、川井さんがご著書で書いていた「グローカル」というキーワードだと思うんです。 ローカルに根ざしながら、グローバルな視座を持つ。これは今、東北に限らず、どこでも重要になってきてるんじゃないかと思うんですよね

 

川井:
そうですね。私たちもホテルアジール・奈良をはじめとする観光ビジネスでは、「グローカル」という考え方を意識的に取り入れているんですね。
「Think Globally Act Locally」――世界的視野で考え、地域の共同体とコンセンサスをはかりながら、地元で働いて貢献する。スタッフにもそれを意識するよう話しています。

 

[*1]「桜ライン311」のサイトは以下のとおり。

http://sakura-line311.org/