対談

【収録 2012年02月14日(火)】

第4回「“フェアネス”と“阿吽の呼吸”」 1 / 2

村上憲郎事務所代表
前グーグル日本法人名誉会長
元グーグル米国本社副社長兼グーグル日本法人代表取締役社長

村上 憲郎 氏

1947年生まれ。1970年京都大学工学部卒業。卒業後、日立電子に入社。ミニコンピュータ システムのエンジニアとしてキャリアをスタートした後、1978年日本DECに入社。1986年から5年間米国本社勤務、帰国後1992年に同社取締役に就任。1994年米インフォミックス副社長兼日本法人社長に就任。1998年ノーザンテレコムジャパン(現ノーテルネットワーク)社長兼最高経営責任者に就任。2001年ドーセントジャパンを設立し、社長に就任。2003年4月グーグル米国本社副社長兼日本法人代表取締役社長に就任。2009年1月に名誉会長に就任し、2011年1月1日付で退任、村上憲郎事務所を開設し、現在に至る。 著書に 「知識ベースシステム入門―やさしい人工知能」(インフォメーションサイエンス)、 「村上式シンプル英語勉強法―使える英語を、本気で身につける」(ダイヤモンド社)、 「村上式シンプル仕事術―厳しい時代を生き抜く14の原理原則」(ダイヤモンド社)、「一生食べられる働き方」(PHP新書)などがある。

ITの会社を経営している者として是非お会いしたい人、それが村上さんでした。2011年に関デジ(関西デジタルコンテンツ事業協同組合)顧問の塩見氏からご紹介していただき、3.11を挟んでこれまでお話をお伺いしてきました。村上さんのお話は今後の社会にとってとても重要だと思いましたので、1年をかけて様々な方にご紹介したり、お知恵を拝借させていただいたりしてきました。 「川井さんはこの話をもう何十回と聞いているのだから、僕の代わりに講演をしてもいいんじゃない?」と言っていただいたこともあるほどです(笑)。 いつもは、IOT(Internet of Things)やエネルギー政策のお話などを教えていただいていますが、今回の対談では、村上さんが経営で成功されてきたお話をざっくばらんにお聞きしました。日本国内にある外資系企業の経営者として、どのように経営にかかわってこられたのか。 普段のビジネス生活にもヒントになるお話がたくさんありました。厳しい現実を切り開いてきた稀有な経営者、私が尊敬する村上さんとの対談を是非、ご一読ください。

 

食べていくために働く

川井:

本日は、よろしくお願いいたします。ここはホテルアジール・奈良の中でも、私が特に気に入っている場所なんです。火の見える暖炉を前にしていると、子どもの頃を思い出しませんか? 村上さんの子供時代は、お風呂は薪でした?

 

村上:
ええ、薪でした。台所も、おくどさん[*1] でしたよ。
そこに、荒神さんがいると教えられて育ちました。

 

川井:
私が小さな頃は、ガス釜が出てきた頃でしたので、ごはんはガスで炊くようになっておりましたが、お風呂だけはまだ薪で焚いていました。私、お風呂当番だったんです。

 

村上:
私もお風呂当番をやっていましたよ。灰と消し炭の中で焼き芋をして、食べていました(笑)

 

川井:
昔のお風呂はすぐに冷めてしまい、一旦冷めてしまうと熱くするのが難しかった気がします。

 

村上:
私が生まれ育った九州では、沸いたら次から次へとみんなが入るという感じでしたね。
「槍がさす」と表現されることもありますが、五右衛門風呂の底板を踏み込むと熱いお湯が板の隙間からピューっと出てきますでしょ。子供の頃は、あれが熱くてねぇ。

 

川井:
今の時代より不便だった分、多様な経験をしたように思います。そういった子どもの頃の経験が、マネジメントにおいて役に立つようなことがありますか?

 

村上:
もちろん直接役立つ、ということではないでしょうけど。
子どもながらに自然物採集経済を実践していましたからね。鮒を釣ったり、川でうなぎを獲ったりして、おふくろに渡して料理してもらって、食べる。ただ採ることを楽しんでいただけではなかったわけです。
若い人とお話するときに、「自分探し」とか、「自己実現」だとかいう言葉が出てくることがあります。でも、そんなことを言う前に、何のために仕事をしているのかと言うと、明日の食料に戦慄するようなことを何とか避けるために仕事をしているんだと。まずは「食うためにやっている」ということを、思い知ったほうがいい。そのことを忘れて、次のステップのところから、きれいに考えすぎているんじゃないの?と思います。

 

川井:
今の若い人たちね。

 

村上:
でもそれは、我々が悪かったわけでしょ。
我々は、コッペパンと脱脂粉乳から、だんだん食べ物が良くなっていった世代です。例えば、デニーズ(ファミリーレストラン)ができましたっていうと、こぞって家族を連れて行った団塊の世代ですよね。
今の自分の身の丈でできる、一番いい生活水準を子どもに与えてきたのです。戦後の貧しい中で、ひもじい思いをしてきた経験がそうさせたのですよね。自分たちと同じような体験はもうさせたくない! という気持ちです。
その結果として、団塊ジュニアとか、更にジュニアと呼ばれる層は、私たちの頃と比べたら、あまり苦労せずに様々なものが手に入ってきたのかもしれません。
でもやっぱり、働くということは、明日の食料を獲得するためなのです。そこをしっかりと認識していないと、「この仕事はできない」とか「こっちの会社のほうがいい」など、ある種の贅沢、下手をすると身の丈を超えたターゲットを選ぶことにもつながるように思います。

 

川井:
昔の暮らしを考えてみますと、私の父母は商売人でした。父方の祖父は、ならまちで江戸時代に代官所の側で小さな両替所をやっていた家だと教えられています。
母方の祖父母は、百姓でした。昔は日本人の8割から9割は農家だった時代ですね。

 

村上:
私は兄弟の末っ子で、父親も末っ子でした。ですから、小学校のときにおじいさんの生まれた年代を調べなさいと言われて父に聞いたら、慶応元年(1865年)生まれでした。

 

川井:
慶応元年! それはすごいですね。

 

村上:
先生も「何を教えたらいいんだろうなあ」って困っていました(笑)。
祖父は西南戦争のときに、西郷軍と闘う官軍の使役に出ていたそうです。
そういった経験があって、祖父が何を思ったのかは分からないのですが、百姓にもかかわらず子供たち全員に教育を施しているんです。もちろん金がないから、みんな師範学校を卒業しています。だから父親をはじめ、伯父には教員が多いのですよ。

 

川井:
私のように自分の親が会社経営をしていた人もそうですが、農家の方々も自営業者であり、経営をされていたのだと思います。だからマネジメントとはどういうことなのか、学ばなくても理解していたという背景が、ある一定よりご年配の方にはあったのではないでしょうか。

 

村上:
そういう意味合いにおいては、私は教員の息子でしたから…、経営のことについては背景がないですね。 それに、実際「村上式シンプル仕事術―厳しい時代を生き抜く14の原理原則」にも書きましたけど、大学時代は、学生運動でおまわりさんとチャンバラばかりしていて、まともな勉強をしていない。どうやって卒業できたのかも正直わからないのです。卒論も書いてないですから。

 

川井:
それは、卒業してもらわないと大学が困ると思われたのでしょう(笑)。

 

マネジメントのこと

村上:

卒業して、社会人になって、エンジニアをしている間は、下にあずかっている人はいましたけどね、遊び仲間みたいなところがあって、「ああしろ、こうしろ」って言うような間柄じゃなかったんですよ。転職をしてセールス部門に移ってからです。人様をマネジメントするっていう恐れ多い事どうやってやるんだろう?」って、本格的に考え出したのは。

 

川井:
人を管理するということにかかわらず、それ以上に会社全体の経営数値を管理するとか、戦略を打ち立てるとか。そのあたりは、やっていくうちに覚えられたのですか?

 

村上:
私は頭でっかちなので、本ですね。字が大きくて、絵が大きくて、薄い、その分野の本を数時間でパッと読んでしまうんですよ。それで、「ざっくりこういうこっちゃな」っていうことがわかった上で、取り掛かりました。そのあとは、やりながら解からない事があれば、またその分野の本を読んで。

 

川井:
足して、足していくのですね。
部下から質問を受けたときはどうされるのですか?

 

村上:

時間軸の緊急度によって判断しますけど、彼、彼女がその部分に関する知識が不足しているようであれば、その類の本を買って読んだほうがいいですよと言いますね。私は自分がやってきたようにやりなさいという性質ですから。
そうしないと、いつまで経っても聞きに来てしまうのです。誰かがずっと後ろについていて、わからなければ教えてくれると、頼ってしまう。自立させるためには、自ら一歩前に進む中から学んでもらわなくては。最初はパーフェクトでないかもしれないですけどね。
私は、人様に自分がやってもいないような事を教えることもできませんし、自信を持って言えないから「自分はこうしてやってきたよ」と言うだけなんです。
しばらく経って、彼、彼女が「ちょっと迷ってるんです」というような相談に来たら、次は「『どうしましょう?』では困るよ」と言います。「この会社は、もうあなたを頼っているんだから『どうしましょう?』ではなく、必ず『こうしましょう』と言ってきてください」と。

 

川井:
グーグルの日本法人は、何人から始まったのですか?

 

村上:
10数人です。

 

川井:
そうすると、「お~い」って言えばみんなに聞こえる状態ですよね。

 

村上:
そうそう。でも、その少人数でもファンクションごとに役割をきっちり分けます。
私は経理、僕は人事、営業、マーケティングというふうに、それぞれの職能をはっきりさせるのです。

 

川井:
なるほど。

 

村上:
ですから、最初に入れる経理とか、人事はとても大事です。その人が企業文化を構築するということになりますからね。

 

川井:
そういう最初の10数人の方は、アメリカのグーグル本社が選ぶのですか?

 

村上:
ええ。もちろん最終面接は私がやりますけれどもね。
グローバル企業はマトリクス・オーガナイゼーション[*2] ファンクション(機能・部門)のラインとリージョン(地域)のラインとが交差したところでみんな仕事をしているんですよ。

 

川井:
なるほど。

 

村上:
地域、特に日本政府から見たときの「グーグル・ジャパン」というのは独立した法人格ですから、地域というラインでは代表取締役・村上憲郎が全責任を負います。しかし、経理という部門で見ると、帳簿はロールアップしていきますから、当然ながら米・本社の経理につながります。
リージョン・ヘッドがセールス・ヘッドという場合が多く、グーグル・ジャパンもそうでしたので、セールスのラインは私経由で上がっていきますが、マーケティングはまた別で、エンジニアもまた別。私を経由せずに本社の同じ部門とつながっています。
だから私も、リージョン・ラインでは代表取締役ですが、ファンクション・ラインでは、 VP[*3] For JAPANとなります。

 

川井:
組織の枠組みがしっかりしているから、役割が明確になっているわけですね。
元は日本の企業にいらっしゃったので、日本の企業とずいぶん違うと感じられたのではないですか?

 

村上:
そうですね。まあ、長所・短所があります。短所を言うと隙間ができること。
アメリカには総務という部門がないから、どうしても隙間ができる。そこをどうやって埋めるかというと、成績評価の中に「グーグル・ジャパン・トータル」という項目を入れるのです。わかりやすく説明しますと、自分の部門でいい仕事をやったって50点ですよ、100点満点にはなりませんよということです。グーグル・ジャパン全体が上手くいかない場合は、あなたもグーグル・ジャパンを背負っている一員なのだから、という形をとって埋めようとするのですが、どうしても隙間は空きます。

 

[*1]おくどさん

=かまど(竈)
穀物や食料品などを加熱調理する際に火を囲うための調理設備。

 

[*2]マトリクス・オーガナイゼーション
=matrix organization(マトリクス組織)
機能別組織と事業部別組織の両方の長所を融合させようと試みた組織形態。(weblio辞書 MBA用語集)

 

[*3]VP
=vice president(ヴァイスプレジデント)
法人の代表者を補佐する役職