対談

【収録 2011年11月08日(火)】

第1回「天の時、地の利、人の和」 1 / 3

国立民俗学博物館民族文化学研究部教授

中牧 弘允 氏

国立民族学博物館民族文化学研究部教授。専門は宗教人類学、経営人類学。
主著に『カレンダーから世界を見る』『会社のカミ・ホトケ 経営と宗教の人類学 』編著、共著に『価値を創る都市へ-文化戦略と創造都市-』『グローバル化するアジア系宗教 経営とマーケティング』『2010年代 世界の不安、日本の課題』『会社文化のグローバル化 経営人類学的考察』等がある。

第1回の対談は、国立民族学博物館の中牧弘允教授です。 中牧先生とは、民族学博物館の共同研究会でご指導をいただくようになって、8年近くなります。学会や研究会がいかなる場所かもわきまえず、ずうずうしく押しかけて、質問を続ける私を暖かく迎え入れて下さいました。

 

中牧先生は文化人類学という幅広い領域の中で、宗教と文化の関係を皮切りに、会社の中の文化を研究され、さらには都市が生き生きと活力を持ち続けられるための重要な政策、創造都市論と文化都市政策について、NIRA(総合研究開発機構)の理事をつとめてこられた方でもいらっしゃいます。その研究内容が紹介されているのが『価値を創る都市へ―文化戦略と創造都市』です。

 

その業績は幅広いだけでなく、国際的評価も高く、中国・韓国・台湾など東アジアの文化人類学を束ねる役割も果たされています。

 

今回は、中牧先生の数多くの ご業績の中から、暦の話、創造都市論の話、老後の人間関係<友縁>の話の3つに絞り込んで、お話をお伺いしました。 天・地・人の三題話です。

 

国立民族学博物館と文化行政

川井:

先生、本日はよろしくお願いいたします。
先生はいつもきっちりとネクタイを締められていますね。

 

中牧:
博物館は客商売なのでね(笑)
ここは公園(万博記念公園)で、博物館はいいけど研究機関はこまるという、初期のお上の意向を受けて、初代館長である梅棹忠夫先生が白衣を着て実験をしているような施設とみられてはまずい、公園にふさわしくないと。

 

川井:
なるほど。ところで国立民族学博物館は、できて何年になるんですか?

 

中牧:
創設から38年、一般公開してからは34年ですね。

 

川井:
私は、中牧先生と日置先生が主宰されているこちらの経営人類学の共同研究に参加させていただくようになって、8年になります。
こちらに通っていて感じることですが、研究者が集うだけでなく、ミュージアムが併設されているというのは、すごく大きな意味がありますね。

 

中牧:
博物館へのお客さん、研究者だけでなく、大学院の学生もいるんですよ。

 

川井:
教育、研究、博物館の3つの機能があるんですね。

 

中牧:
ええ、肩の荷が重くてね(笑)
こういうのを「かたおもい」って言うんです(笑)

 

川井:
先日、韓国にうかがったときに、韓国の国立中央博物館の館長様とお話する機会がありました。当日はフランスから韓国の王室図書が帰ってきた日でした。それで、博物館を見せていただきながら、正直な話、ちょっと寂しかったんです。建物はすっごく立派だったんですけれども、コレクションに偏りがあるような気がして…。
そのときに感じたことが、博物館には、フォークロアの博物館とエスニカルな博物館があると思うのですが、エスニカルな部分が弱いのかなと。

 

中牧:
韓国はこれからつくろうとしていますよ。それに中国にもね、こういう民族学博物館はないんですよ。

 

川井:
グローバルな企業を育てていくにあたって、民族学的な視点は必要なのだろうとあらためて思いますね。

 

中牧:
そういう意味で梅棹先生というのはイデオローグとしての役割もはたされましたね。
天の時と、地の利と、人の和。これがそろわないと、物事はうまく進まない。
ここだって、一つでも欠けたら実現しなかったわけです。

 

「天の時」はいかに与えられるのか

川井:

天の時と、地の利と、人の和ですか。
先生のご業績に重なることがいくつもありますね。
天の時ということですが、先生は「時」の研究をされていますよね?

 

中牧:
ええ、カレンダーの研究をしています。
暦というのは、宗教がらみ、権力がらみの道具でもあるんですね。
統治をするときに、時を定めるわけです。
暦を作って、皇帝が時を支配する。それが帝国のリズムになるわけですね。
それは中国でもそうでしたし、ヨーロッパで言えばシーザーがクレオパトラに恋(?)をして、エジプトの太陽暦を取り込んで、ローマの旧暦を廃したわけです。太陰暦からユリウス暦となって、それを今われわれが使っているわけですよ。ユリウス暦がバージョンアップしたものが、グレゴリオ暦ですから。
本当に大きな変換というのは、シーザーがクレオパトラを愛人としたときに始まっているわけですよ。
シーザーの恋が、世界史の「時」を変えているんです。

 

川井:
ロマンチックですね(笑)

 

中牧:
クレオパトラは実は忍び込んだんですね。シーザーの元に。
シーザーが彼女を求めたわけではなくて、貢ぎ物として運び込まれるという偽装をして忍び込んだんですよ。

 

川井:
シーザーは驚いたでしょうね。

 

中牧:
それで彼はクレオパトラのエジプトを支援し、後に、それまでローマの神官が勝手に入れていた閏月を廃止して、太陽暦に変えたわけです。

 

川井:
愛の力?

 

中牧:
愛の力(笑)そうも言えるかもしれませんが、シーザーが革命家だったからでしょうね。
やると決め、断固としてそれをやり遂げた。

 

川井:
暦は農業生産と深く関係している側面がありますね。
例えばエジプトは水がたくさん出てくる時期を測るために暦があったと思うのですが、そういったエジプトの暦を持ち込むことでローマのリズムが大きく変わったでしょうね。

 

中牧:
そうです。

 

川井:
神官たちが定めていたローマの支配のあり方を、エジプトという新しい文明で塗り替えた。それが革命だと。

 

中牧:

ナイル川の氾濫は、大体半年周期でやってくるので、それを一つの農事暦として素朴な形では認識していたかと思います。
けれども、実際は天体を見て、太陽が昇る時間を観察していたわけです。
今、太陽を観察したと言いましたが、本当は日の出直前にシリウスという恒星が昇るのを見ていたんです。シリウスは1年の内70日くらい隠れるんですよ。太陽と一緒に出てこない。それで、再びシリウスが現れる日を年の初めとしたんです。それが夏至のころで、洪水の開始時期だったのです。
氾濫は自然暦に近いですが、太陽暦といっていますが、正確にはシリウスという恒星暦なんです。365日はそうやってできているんですね。
今でもその恒星暦は、エチオピア暦とかコプト暦として生きていて使われていますよ。

 

川井:
閏年というのも、当時からあったのですか?

 

中牧:
シーザーが太陽暦を導入したときに、1年を365日と4分の1にしたわけです。つまり4年に1日閏日を入れて調整するというのが、ユリウス暦ですね。
しかし実際には、ぴったり1/4ではなかった。すこしみじかいのです。それでどんどん時間が経過するにつれて、だんだんずれてきていたのですが、長い間調整しなかった。
1582年にようやっとグレゴリオ13世が暦の改暦を断行したわけです。

 

川井:
それって、シーザーが恋をしてから1600年くらい経ってからということですね。

 

中牧:
そうそう、1600年ちょっと経ってから、進みすぎた時間の11日分を飛ばしたわけです。

 

川井:
進みすぎた時間を飛ばす…。

 

中牧:
ええ、それが我々が使っているグレゴリオ暦です。空白の11日がある。

 

川井:
ずれていたとおっしゃいましたが、それは季節がずれて気付いたのでしょうか? それとも天空がだんだんずれた?

 

中牧:
いえいえ、元々の計測がずれていたということです。
ではなぜずれていることに気付いたかと言うと、キリスト教の重要な行事、復活祭の日が季節とずれてしまったわけです。
復活祭の決め方というのは、ご存知のように春分の日から最初の満月の次の日曜日ということで決まります。
春分というのは太陽暦、満月は太陰暦ですよね。
そのイースターの時期が大きくずれてきたというのが調整のきっかけです。

 

川井:
太陽暦である春分の日がずれてくるから、次の満月までの日数がずれたということですね。
みんながおかしいなと悩んだのでしょうね。

 

中牧:
天文学者は、計測がずれていることには既に気がついていた。
でも、時を支配しているのはカトリック教会だったわけですよ。
学者でもなく、政治権力でもなかった。

 

川井:
1600年くらいですと、新教と旧教が合い争い始める…

 

中牧:
後ですよ。

 

川井:
では、新教徒は後から追随するわけですか?

 

中牧:
これがね、新教徒の国というのは、グレゴリオ暦を採用しないわけです。対立していますからね。 だからずっとユリウス暦だった。プロテスタントは遅れたわけですね。
イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、こういうところはグレゴリオ13世に従い、採用した。ドイツ、イギリスとかプロテスタントの国は採用しなかった。だからロンドンとパリとを往復するのに、日付が大きく違うという状態が、17世紀中ごろまで続いていたんですよ。

 

川井:
そうするとエリザベス朝の時代も違っていたということですか?

 

中牧:
そうなんですよ。
フランスとイギリスは違う時間を生きていた。
そんなわけでしたが、グレゴリオ暦のほうが正確なので、徐々に採用するようになってきたわけです。
日本では、明治6(1873)年に、グレゴリオ暦を採用しました。

 

川井:
先般中国へ行ったときに、中国の人たちは国慶節などがそうであるように、旧暦でお祝いをすると思っていたのですが、随分とライフスタイルが洋風化していまして、最近は1月1日にテレビで福を呼ぶ番組をやるらしく、視聴率が上がってきているらしいです。

 

中牧:
それでも、都会の一部でしょう。これからどんどん変わっていくでしょうね。