対談

【収録 2012年02月07日(火)】

第3回「日本という国を見つめて」 3 / 3

教育について

川井:

日本人としての基礎教養の中に経済教育がすっかり抜け落ちているのじゃないかなっていう気がします。

 

原田:
それはあると思いますね。

 

川井:
私自身は西洋史学科を卒業しています。立命館大学は大学改革に成功したのですけど、実は大学改革に出ていた永田さんという総長が、西洋史学科なんですよ。私も一部教えていただいたんです。英米専攻で、近代米国史がご専門だったのですけど、アメリカ史だとか西洋史の中のモダン社会を学びました。ですから、バブルが崩壊した後、大恐慌とケインズ政策[*8]について、岩波書店の世界歴史を読みなおしました。

 

原田:
それってやっぱり学ぶっていうことです ね。大恐慌のときに非常に長く不況が続いた国はどこかを知ることもできる。日本は、実は他の国に比べたらすごく早く回復した国なんですね。それは高橋是清蔵相[*9]が、財政金融両面から日本を回復させたからです。これまでの理解では財政金融両面からということだったのですが 、私も参加した岩田規久男先生編の 本には 金融面の効果 が大きいと 書いてあります(岩田規久男編著『昭和恐慌の研究』東洋経済新報社、2004年)。これは 過去から学ぶっていうことです 。人間って愚かだから、同じような失敗を何度も繰り返している。じゃあ過去の失敗に対してどう行動したのかを学んで、今度は失敗しないようにしようとするのが普通なのに、それをやらない。やらないだけじゃなくて、例えば高橋是清の業績を貶めるようなことを盛んに言う人が、日本銀行関係者や行政関係者 に多いのですね。でも、日本で世界に先駆けて大恐慌から回復した事実があります 。事実は曲げられないし、日本人として高橋蔵相の事跡は誇りにすべきだと思うのですが、 高橋是清という偉大な日本人を認められない日本人が多いのは悲しいことです。 西洋史においても、ヨーロッパの中でイギリスが成功したのは何故かという話があります 。アメリカ合衆国は成功したけど、ラテンアメリカは成功していないわけです 。 日本人が貧しい国になりたくないのなら、成功した国はなぜ成功して、成功しなかった国はなぜ成功しなかったかを学ぶことが 重要だと思います。

 

川井:

私が卒業した立命館大学も、大学改革というところではアメリカの大学経営を真似て成功され、大学の勝ち組になったと思うんですよね。
実は日本人の基礎教養として歴史を日本史と世界史に分けて学ぶことで、日本史と世界史の年表が頭の中でくっついていないんじゃないかというのが一つ思うところなのですね。歴史の勉強も、古代から始まるので、明治以降の近現代、特に現代史なんかはほとんど入試直前に、駆け込みで学んでいるのではないかと。それによって明治以降、特に昭和初期の知識が極めて薄いのではと思います。だから正直なところ、「高橋是清って誰よ?」となる人も少なくないんじゃないでしょうか。

 

原田:
大学で非常勤講師をやっていますが、昭和恐慌とか大恐慌すら知らないと言う学生 がいますからね。

 

川井:
そうでしょ? 私は日本史と世界史に分けないほうがいいのではないかと思うんですよ。歴史っていう時間と、今から遡る明治までの モダンという科目を作る。

 

原田:
たとえば中国は、宋の時代は世界一の文明国だったと思うの ですが 、それがなぜ衰退したのかとか、そういうテーマで 教えれば、関心を持って生徒も理解できると思うんです。けれども、単に日本の奈良時代は、中国は隋唐ですよねとなると、 なかなか覚えていられない 。中国が唐の頃は、ローマ帝国で、それからイスラム帝国になって…という具合にやってもよく分からない と思うのですけれど 。

 

川井:
分断されているからですね。

 

原田:
植民地主義の時代になったら、なんとなくわかりますね。グローバル化されてきて。スペインやポルトガルも日本を キリスト教国にしようと思ってやって来たんでしょう。植民地化しよう と思っていたかもしれない。だけど、こんなに鉄砲を いっぱい持っている国はなかったから諦めたのかもしれない。

 

川井:
(笑)それも一丁の火縄銃が何十丁にも化けていたと。

 

原田:
何十丁どころじゃなくて、あの時は世界で一番鉄砲を持っていましたからね。

 

川井:
鉄の技術を持っていたっていうことですかね。

 

原田:
刀鍛冶が作ったんですね。分業して量産体制をとって作り、それを戦争に使っていた。

 

川井:
あれこそ原田さんが書かれた「日本国の原則に書かれていたように、統一国家がなくて戦争し合っているから、ものすごく武器の技術に対して投資していたということですね。

 

原田:
ところが徳川時代にそれをやめちゃったわけです。もちろん平和はいいのだけれども。 それまでたくさんの鉄砲を持っていたから、外国が黒船を造って攻めてくるなんて全然考えていなかったんでしょうね。 だから鎖国をして、世界から孤立をしたほうがむしろ安定すると考えた。だけど結局それって、徳川幕府は国民に学ぶ 機会を禁じたようなものです。

 

川井:
情報を閉ざしちゃいましたからね。

 

原田:
それでも細々とは入ってきていたわけですが、細々だからどうしても趣味的になってしまう。趣味的に入ってきていたものが、 実学として認識されるのは幕末ですね。 火縄銃だったら叩いて丸めてね、ねじをつけてなんかやるっていうのは、 カラクリ人形みたいなものだからできた。でも、たとえば実際蒸気エンジンを見て、蒸気エンジンを作ろうとしたけど、作れないっていうことが分かった。作るには作ったけど、圧力をかけると壊れるから、低い圧力でしか動かないわけですよ。

 

川井:
どこかで要素技術がかけているということですか。

 

原田:
そう。動いたんですけど、馬力が出ないということも分かった。しかも重い。こんなに重くて馬力が出ないのじゃだめだから、 一からヨーロッパとアメリカに教えてもらわなきゃいけないということだけは、分かったんです。 自分で一生懸命やってみたから、その圧倒的差を認識できた。 今日本がだめなのは、90年代からだらだら、だらだらだめになっていって、何がだめなんだ? という、圧倒的差がわからないうちにだらだらと、なんかだめになっていくという状況が続き、真剣に何かをやるっていう、 そこが欠けていると思うのです。 文科省の英語教育にしても、小学校から英語教育をするのはいいけれど、ぺらぺらの薄い教科書を作って、英語教育だとかってやっているわけです。「それ遊びでしょ?」って思います。英語が必要なんだったら、そんなんじゃ足りないのだから、本気でやらなきゃいけない。けど、本気さがないのです。あらゆることに。

 

川井:
すごく本気な地域に行くと、感じることがあるんです。例えばバリ島へ旅行に行くと、小学生が日本人だと思うと声をかけて くるんですよ。小学校の宿題で、観光で来ている外国人に、旅行に来てどうでしたかっていうことを聞いて来いっていう宿題が あるそうなんです。 地元の人の言葉以外に、学校で英語を学んで6年生の課題が、英語で外国人に聞くっていうことなんですから、本気ですよね。

 

原田:
ブータンの国王夫妻の人気が出て、日本もブータンのように幸せを目指せばいいじゃないかっていう人もいるのですが、 ブータンの高校生って英語を話すのです。ブータンに行った人が、高校生が英語を話すってびっくりしていました。 中国とインドにはさまれて、自分たち独自の文化を持ち、かつ観光客や国際的な支持を得るには英語が必要だと 思っているのでしょう。

 

川井:
日本に今足りないのは、必死さとか真剣さ。

 

原田:
だらだら負け続けているからだと思うのですよね。

 

川井:
もうでも限界に近いところまで来ていると思うのですけどね。

 

原田:
私たちにも、伝えるという努力が必要ですね。

 

川井:
今日はありがとうございました。


私が大切にしている言葉に、阿部勤也先生の「自分を掘る」という言葉があります。原田さんは、妥協することなく営々と自分を掘ってきた方なのだと感じています。原田さんの論考を伺うと、日本の近代史を知る機会がいかに重要であるかがわかります。石橋湛山賞を受賞された原田さんのご著書「日本国の原則」の最終章では『教育における「型」と自由』について論じられ、こんな一文で締めくくられています。
江戸時代の人々が型と自由の意味を理解していたからこそ、明治の日本は西欧文明のもたらした新しい型に対応できたのではないだろうか。
この一文に込められた思い、そこに辿り着くための弛まぬ努力に、今回あらためて尊敬の念を強くいたしました。

 

[*8]ケインズ政策

総需要管理政策 政府が財政・金融政策を適切に用いて総需要を管理し、景気の調整、完全雇用、国際収支の均衡、安定成長などの経済目標の達成をめざす政策。 ケインズの有効需要の原理に基づく。

 

[*9]高橋是清
高橋 是清(たかはし これきよ、嘉永7年閏7月27日(1854年9月19日) – 昭和11年(1936年)2月26日)は、日本の政治家。立憲政友会第4代総裁。第20代内閣総理大臣(在任: 1921年(大正10年)11月13日 – 1922年(大正11年)6月12日)。大勲位子爵。幼名は和喜次(わきじ)。総理大臣としてよりも大蔵大臣としての評価の方が高い。