2人の出会い
川井:
先生、今日はよろしくお願いします。
- 石原:
- あなたの本を読ませていただきました。やっぱり、普通の人とは考えていることが違うと思いました。
- 川井:
- 小学校5年生のとき、国語・算数・理科・社会を先生が経営されている塾で教わっていました。そういう意味では、師匠と弟子ですよね。
もう40年以上前になりますが、あの頃先生に勉強の楽しさを教わったと思います。
- 石原:
- そう言ってもらうと、やっていて良かったとうれしくなります。
- 川井:
- 中でもね、自分に身についたかどうかは別として、勉強している最中に鼓の音と謡が聞こえてきたこと。
先生は能奉行のお家ですが、当時はお父様が能奉行[*1]でいらっしゃって、楽器店もされていましたからね。
- 石原:
- いやあ、あの頃はほんま忙しいときでした。
芸事というのは、やれるときにやっとかんと。
当時の私も一生懸命時間を空けて稽古していましたけど、「商売やってる昼間の忙しい最中に稽古する馬鹿がおるか!」といって怒られましたよ。
でも今考えると、ものすごくプラスになっている。
だからよく「時間がなくてできません」と言うのは違うなぁと思います。
逆に忙しい最中にやったものほど身につくものです。
- 川井:
- 私も今、忙しい最中に2作目を書くように追い込まれていましてね(笑)
- 石原:
- そこで「暇になったら書こか」なんて、絶対に思ったらあかんよ。
- 川井:
- 毎日少しずつでも書く?
- 石原:
- そうそう。否が応でもそうやっとかなあかんし、いずれ「やっといて良かったな」と自分で思うときが必ずくるから。
でも大変やと思う。ほんまようやらはるわ。
- 川井:
- お能の世界っていうのは、すごく物語性が重要ですよね。先生からお能を学ぶ機会を何度か与えていただいたということもあって、日本の歴史性・芸術性とその価値をうまくミックスすることによって価格をつけることをビジネスにして、成功したと思っています。何有荘[*2] はまさしくそういう事業でした。
何有荘だけでしたら偶然かもしれませんけど、お蔭様でホテルアジール・奈良も「ミシュランガイド2012 大阪・京都・神戸・奈良」で2つのパビリオンマークをいただきました。
そこでようやく少し自信がついてきたんです。
アメリカ、フランスといったグローバルな評価の中、欧米の文化人に対して日本的なる物をどのようにプレゼンテーションするか。お相手に「おお、そうか!」とわかっていただけるようにしていくことが、次の時代にとってすごく重要なんじゃないかと考えています。
そういったプレゼンテーションと評価を経た上で、奈良県が実施した「奈良のお宿自慢」 という事業において、ホテルアジール・奈良が「建物・お部屋自慢の宿」部門で大賞をいただいたことは、とても意味のあることだと思っています。
日本の神話と能の世界
- 川井:
- 奈良県では2012年~2020年の間「記紀万葉プロジェクト」[*3]が展開されています。
石原:
-
記紀といえば、どこの国でも神話が劇になっていて、例えば能でも20曲くらいあるんですよ。
海中に鉾を挿して淡路島が生まれたというあの神話も、「淡路」や「逆鉾」という演目になっています。古事記は1300年前の712年に書かれたもの。ということは、収められている話自体はそれ以前からあるのでしょう。ヤマタノオロチの話も、大和の神話、出雲の神話がつながっている。そこから「大蛇」や「出雲」という能ができています。
能は、作られた時代の関係で題材としては京都が一番多いけれども、京都の次は奈良です。
- 川井:
- 歴史学でマンタリテ[*4]という言葉があります。英語の「メンタル」という語と同じなのですが、私たちの時代に私たちが感じる感じ方と、昔の人びとの受け止め方や感じ方は違うだろうと思うんですね。
三輪素麺の巻き糸の伝説が、古事記に「倭迹迹日百襲媛(やまとととひももそひめ)」の物語として書いてあります。彼女はホト[*5]を突いて亡くなるのですが、人々は彼女のために墓を作り、その墓の名前が箸墓[*6]であると。みんな自ずと、誰から命令されるわけでもなく大阪から手渡しで石を運んできて作られたと記されています。
ここに注目したいのですが、「人民」とかいて「おおみたから」と「かな」が振られています。
中学・高校の先生から教えられたマルクス主義的歴史学の最も間違っている部分は、日本の古い時代をアジア的な奴隷制だと説明しているところです。
信仰がある人々が、偉大な統治者がなくなったときに、皆で喪を弔うために自発的に石を運んだのです。それに対して「奴隷だったから」という説明はどうなのか。
さきほどの「おおみたから」と呼ぶことそのものが、人々を治める統治者の側の心が表れているような気がするんですよ。
それは柏手をポンと鳴らすのと一緒で、こちら側の心根と、相手側の心根があるから響くのです。治められる人々にとっても、大君が私たちのことを「おおみたから」とおっしゃってくださっているという気持ちでものごとが成されたように思うのです。
- 石原:
- さっきの箸の話は「三輪」という能に出てきます。箸の変わりに矢を投げ込んで演出しました。
大阪から石を運んできたというくだりにしても、嘘本当は別にして、そういう姿があったということが大事。エジプトのピラミッドや空中の都も、民が集まらないと成し遂げられなかったことでしょう。
- 川井:
- パッションですよね。「熱意」とか「想い」とか。
そこにはやっぱり尊敬とか畏敬の念があるような気がするんですよね。鞭(むち)をふるうだけでは、大きな仕事は成し遂げられない。
- 石原:
- 神話は神話として読んでいたけれども、今から考えると、伝説になるような人物がいたのでしょう。そう考えると、日本にも素晴らしい人間がおった。しかもこんな島国でね。
- [*1]能奉行
- =能の催しがあるとき、これを司る役職。 奈良は能発祥の地であり、金春・金剛・宝生・観世の「大和四座」が今も続く。 奈良における能奉行とは、四座を通して舞台を作ることができる人物であり、現在で言うところの舞台監督、総合プロデューサーである。
[*2]何有荘(かいうそう) - =京都市左京区にある日本庭園。南禅寺界隈にある別荘の一つであり、旧稲畑勝太郎邸。近代を代表する庭師七代小川治兵衛(通称植治)による作庭で知られている。平成18(2006)年10月より川井が再生にかかわり、平成21(2009)年末に米・オラクル・コーポレーションCEOのラリー・エリソン氏に売却した。
[*3]なら記紀・万葉プロジェクト - =平成24(2012)年『古事記』完成1300年から平成32(2020)年『日本書紀』完成1300年をつなぐ9年間にわたるプロジェクト。奈良県が主催している。
[*4]マンタリテ - =心性史(しんせいし、仏:Histoire des mentalités)は、伝統的な歴史学が戦争や政変といった(非日常的な)事件に注目し、文献を中心に研究を進めるのに対して、人々の思考様式や感覚といった日常的なものを、文献以外の図像、遺物、伝承なども使って研究しようとする歴史認識の方法である。心性史は時代時代の人間の心理・精神・心性を解き明かそうと指向するので、民族学、人類学、社会学、社会心理学などと接近し、学際的な研究を指向するものである。それぞれの学問分野で培った方法・方法論や技術的な手段を援用・応用しつつ、それぞれの学問分野の“専門精神”をしりぞける精神を求められる、という(竹岡敬温)。
[*5]ホト - =記紀等昔の表現において、女性器を意味する単語。
[*6]箸墓 - =奈良県桜井市纒向遺跡の箸中に所在し、宮内庁より倭迹迹日百襲媛命大市墓として指定されている。