対談

【収録 2012年06月01日(金)】

第6回「幽かなる日本美の心」 4 / 4

「かすかなもの」を読み取ろうとする日本人

川井:

先ほどの神話の話ですが、神話はある種日本人の価値観のところを物語にしていますよね。お茶やお花、お能など、日本的価値の体系ってあるじゃないですか。お能なら「幽玄」[*13]という言葉で表現できるでしょう。
その「幽玄」とは何なのかを私たちは理解できるにも関わらず、その機会を失っているような気がします。
先生、お能の「幽玄」というのはどういう世界なのですか?

 

石原:

「幽」は「かすか」ということです。かすかな世界というのは、先ほどの複式夢幻のような夢の中の話であり、おぼろげで、かそやかなんです。明確に見えるのではなく、見えるか見えないかというものです。

 

川井:
玄は「くろい」ですか? 暗闇の中に見えるか見えないか…

 

石原:

そう。「かそけき美しさ」なのです。

 

川井:
お能の舞いは歌舞伎や浄瑠璃に受け継がれていきました。そして、お能の持っている精神は日本人の魂の中にあって、「かそけきものをみる」やさしさとか、そういったものを深く味わう心が、「歌」の世界に流れていくのかなぁと思います。

 

石原:

書かれていない行間を読む、やね。
例えば水墨画を外国の人は未完成だと捉え、「下書きですか?」と言うけれど、日本人は青空を想像しながら見る。だから、我々にとっては空白で完成なんです。

 

川井:
空白で完成…庭もそうですね。

 

石原:

イングリッシュガーデンと、我々の庭の感覚は全然意味が違いますね。
見えないものを見、書いてないものを読めというのは日本人独特の感性でしょう。
歌でもそうです。俳句や和歌のように、歌自体は少ない言葉で表して、各々の解釈をする。
歌も能も、みんなそれぞれ見ている世界が違うから、それでいい。
そう考えると、古事記はきちっと書いてありますね。万葉集も、気持ちをそのまま書いてある。直感の歌です。
後世になり、「かな」の入った歌になってくると、また違ってきます。
だから、国歌は万葉集からとらず、仮名ができてからの歌ですね。能の「老松」の中にあの歌が入っています。昨今、国家を歌うとか歌わないとかいって議論されていますが、800年900年前からある歌なんですよ。

 

川井:
「苔のむすまで」という言葉がありますが、日本人は「苔の美」も大切にします。この気候風土と一体になった特有の「美」の一つでしょうね。
何有荘という庭を預かってるときに、苔の美というのは、他の国の人たちは見たらその美しさに気付くけれども、作り出すことができないのだと感じました。

 

石原:

日本においても、苔が難しいから石の庭になったわけやからね。

 

川井:
屋久島のブームが始まりだした頃に行きましたが、歩いていると苔が美しいのです。屋久島に大勢の日本人がいったのは、DNAで苔の美を知っていたのではないかと思います。
屋久島もいいですが、奈良にいると空気が甘いですね。そして春日原生林や吉野の森林も苔が深い。

 

石原:

外に行くとつくづく感じますね。大阪から生駒さん(生駒山)越えたら空気が違う。

 

川井:
この街で過ごしていると、それをありがたいことだなぁと思うんです。風土として、原生林も鹿と一緒に守られて残っていますし、寺社仏閣も残っている。「空気の甘さ」は、伝統と歴史性の中で培われたのだという感じがします。
先生、本日は貴重なお話をいただき、本当にありがとうございました。

 

石原先生のお話は、文字に書き起こしてあらためてその深さに驚かされます。
このような方の下で、学習塾という形式ではあったけれど、多感な10代を過ごせたことは本当に幸せだった、と改めて感じました。

石原先生は、古い伝統と格式を持った能奉行のお家の長男としてお生まれになりました。若い頃、事故で両手を失われたため、大変なご苦労をなさっておられます。しかし、そのご苦労にも関わらず、興福寺の薪御能をはじめとして、奈良県いや日本を代表する能文化の継承者となっておられます。

石原家は、奈良町代官所(現・奈良女子大学)のすぐそばにあります。私の祖先の菩提寺もこのそばにあり、川井徳松という先祖の墓碑がそこに建っているのを見ると、自らの原点をそこに深く感じます。

文化は一代では形成されず、長い歴史と伝統の中で、多くの人々との交歓によって培われていくものであると考えていますが、私の場合も、このような世界でも超一級の文化人・能の大家にふれる機会がありました。

学校では決して学べないことが、世の中には数多くありますが、石原先生との出会いは本当に貴重な時間です。本文では出てきませんでしたが「ある時、おもしろい物が手に入ったから、見に来ますか?」と言われて、先生の新コレクションを拝見しました。それは、数十枚の能面でした。小面・姥・俊寛・生成など、すばらしいお面がたくさん並んでいました。

一枚一枚丹念に見ていくうちに、少し何かが動いた気がしました。その夜、能面が頭から離れず、一晩うなされました。面(おもて)を見ると言うことは、たいへんな心的能力、力を必要とするのだ、と改めて驚いた出来事でした。

お話の中では、日本的美学の象徴として「苔」が出てきます。侘び寂びを表現する時に極めて重要な素材です。苔は、悠久の時を象徴する極めて大切な植物です。一方、雅を象徴するのに最も大切な植物は「桜」です。義経千本桜とは、日本美の究極を表現したお芝居でもあります。この日本美の二つの体系は、やはり古事記や日本書紀といった神話世界を根底として、長い年月をかけてできあがっています。

こういう美と哲学について確信をもってお話しが出来るのも、石原先生のご指導をいただいたからだと、深く深く感謝しています。本当にありがとうございます。

 

[*13]幽玄

=中世芸術の基本理念の一つ。深遠で微妙な神秘性を意味する。