対談

【収録 2012年06月01日(金)】

第6回「幽かなる日本美の心」 3 / 4

明治時代以前の能

川井:

舞楽として一番古いのはお神楽や雅楽ですよね。雅楽には『採桑老(さいそうろう)』という「舞うと死ぬ」とささやかれている舞があると聞きます。それは能の『卒塔婆小町(そとばこまち)』[*7]と似ていますね。神楽にある物語で能になっているものもありますし、能で演じられているものが歌舞伎になっているものもあります。

 

石原:

歌舞伎はほとんど能から出ていますし、人形浄瑠璃も。

 

川井:
歌舞伎の『義経千本桜』も、能の『義経』ですよね。

 

石原:

言葉がまったく一緒です。つまり「勧進帳」[*8]は私たちも言えるのです。歌舞伎役者が間違ったらわかるくらい(笑)、まったくそのまま。

 

川井:
古い原始的な舞から、洗練された舞台芸術になっていく。そういう意味で日本の芸事は、古いけれども常に革新的。

 

石原:

その通り。
今皆さんが見ている能の形態は、一番古いものでも明治時代のものです。言葉はそのままですが、明治以前は強吟(強い口調)でした。
今のように、ゆっくりやわらかに謡われる歌はなかったのです。

 

川井:
え~!
舞台としては、もっと勇壮だったということですか?

 

石原:

ええ、勇壮でした。今でこそマイクや音響がありますが、昔はなかったから怒鳴らないと聴こえません。だからすごく大きな声を出していました。
そうすると、今みたいにゆっくり演じていたら、謡の息が続かへん。今1時間から1時間半ある曲を、少なくとも20分~30分ほどで終わらせないと。
昔の記録を見ると、1日に10番演じています。今の能で10番演じようと思えば、朝から晩までかけてもまだ終わらへん。

 

川井:
3分の1の時間で舞おうと思えば、ものすごく忙しいでしょうね。

 

石原:

そりゃ忙しい。怒鳴りながら、パパパっと舞うわけやから(笑)
情緒豊かな場面も、えらい喧嘩腰だったと思いますよ。マイクや音響がない上に、面を付けているでしょ。よっぽど大きな声で怒鳴らんと観客まで聞こえない。屋外でする薪御能を見たことがある方なら、理屈で考えたら分かりますよね。

 

川井:
言われてみれば、そうですね。
今、もっと早く舞ったらどうなります?

 

石原:

おもしろいやろうね。外国では、そうして演じることもあります。外国ではゆっくりやっていたら退屈してしまいますからね。国によって、上手に見てくれる国もありますが。
例えば、フランスの方は劇を観るのが上手です。新聞記者が来て質問をするんですけど、日本の新聞記者と全然違う。感心しますよ。
我々のしゃべっている言葉は日本語です。ですから彼らにとっては伴奏なんですね。日本人みたいに「言葉がわからないから、わかりません」という感覚ではないのです。
言葉をなしに観て、舞台の上にひいている衣を「あれは死んでいる人ですね、病人ですね」とわかる。日本人はいちいち説明しないとわからない。

 

言葉の壁を越えて響きあうもの

川井:

フランスの方々は複式夢幻能(ふくしきむげんのう)[*9]の意味を理解していらっしゃるのですね。その複式夢幻能ですが、見る側には何をもたらし、演じる側はどういう気持ちで複数の時間を演じるのですか?

 

石原:

一番大事なことは、見ている人と、演じている者の両方が力を合わせられないと成り立たないということです。
まず観る方は、これは海であるとか山であるという情景を頭にそっと描いてくれないといけない。能の舞台は背景が常に一緒ですから。
夜か昼か、今は歩いているのか、走っているのか、飛んでいるのかなどもそうです。
それを私たちは何で表しているかというと、仕草や言葉です。言葉で話していることが分からないとすれば、仕草一つです。
それを能楽師が、ちゃんと表すことができなければあかん。
だから僕は能楽師にいつも言うんです。「あんたの能は舞うてはる。形はできていても、あんたの気がそうなってない」と。

 

川井:
舞い手の方が世界観をもって演じないと…?

 

石原:

そうでないと、あかん。
昔みたいに1番の能をやるのに、1年も2年も費やして一生懸命稽古したのと違って、今は舞台がたくさんあるから、野球の消化試合みたいになっていきます。舞台が多いと、能の世界観自体が変わってしまう。

 

川井:
そう思うと、2007年の「燈花会能」[*10]で櫻間金記さんが舞われた「卒塔婆小町」は、本当に良かったです。

 

石原:

舞うために、3年前から勉強していましたから。

 

川井:

ご一族の櫻間さんはウィーンのハプスブルグ家に行ったときには『隅田川』[*11]を舞われました。あれは女物狂能(おんなものぐるいのう)[*12]じゃないですか。ハプスブルグ宮殿は美術館になっていて、暗殺された悲劇の皇后エリザベスを偲ぶ展示がされていました。その展示会の一つのホールで「隅田川」をやったときに、ものすごく感動したんですよ。場が持っている力とか、背景とか音響…「エリザベス皇后がそこにいる」と思わせるような雰囲気がありました。

 

石原:

『隅田川』はイギリスの作曲家のブリッテンが『カーリュー・リヴァー』というオペラに仕立てています。

 

川井:
ということは、イギリスの方にも通じるお能だったのですね。

 

石原:

オペラ『カーリュー・リヴァー』は日本でも講演しました。その際、どうしてもこの場面だけは能の人が演じてくださいっていうことで、僕も行きました。

 

川井:
先生、いろんなことをしていらっしゃいますねえ(笑)
ウィーンの方々もスタンディングオベーションで「素晴らしい!」と拍手喝采でした。そのとき、ある種の芸術性というのは言葉の壁を越えて響きあうものだなぁと感じました。

 

石原:

本当にそうですね。

 

[*7]『卒塔婆小町(そとばこまち)』

=小野小町を主人公とする「小町物」の代表的作品。観阿弥作。

[*8]「勧進帳」

=歌舞伎の演目。ここでは、源頼朝に追われる源義経一行が関所で止められた際、弁慶がたまたま持っていた巻物を勧進帳であるかのように朗々と読み上げる(勧進帳読上げ)の場面のことを指す。

[*9]複式夢幻能(ふくしきむげんのう)

=生きている人間のみが登場する現在能に対し、霊的な存在が主人公となるのが「夢幻能」。特に、前場(まえば)と後場(のちば)の二場からなり、シテが前場と後場で形相の変わる「複式能」である場合、「複式夢幻能」と呼ばれる。

[*10]なら燈花会能

=毎年8月の数日間、奈良公園を舞台に繰り広げられる灯りの催し「なら燈花会」の期間に合わせて開催されるのが「なら燈花会能」。石原氏が理事長を務める「NPO法人奈良能」が自主事業で立ち上げ、能・狂言をはじめとした伝統芸能の振興及び普及、保在育成を目的としている。

[*11]『隅田川』

=人買いにさらわれた一粒種の梅若丸を探し、京都から武蔵国の隅田川まで流浪しながらも、そこで愛児の死を知った母親の悲嘆を描く演目。
[*12]物狂能(ものぐるいのう)
=主人公の物狂い(狂乱する姿)を見せる能。