対談

【収録 2013年6月21日(金)】

第8回貨幣が生まれた時~貨幣から語る世界経済史~ 4 / 5

貨幣を扱う人々

飯田:
貨幣経済が発達した江戸のような社会になってきますと、商売をやることを正当化する哲学も生まれます。石田心学[*17]なんかが典型ですね。また、近江商人の三方よし[*18]もそうでしょう。
僕は結構、古典的な経済決定論が好きなんですが、そのとき力を持っているやつが「これはいい」と思うようなことと、そのとき力を持っている階層が感じ入る思想がもてはやされるというのは洋の東西を問わないと思います。どの時代にも、いろいろな考え方があって、そのうち、流行って、残っていくものは、誰かにとって心地いいものだったと。
やっぱり残っていったのは石田心学であり、または商人道みたいなもの。立命館の松尾匡さん[*19]が詳しいですけれども。

 

川井:
網野善彦さん[*20]の「日本の歴史を読み直す」に面白い話が出てきます。『徒然草』に大福長者と言われた金持ちが「銭を君のごとく、要するに、殿様のように、神のごとくおそれ尊みて」というようなことを発言しており、「従え用いることなく」要するに、大切に扱えということを、『徒然草』の頃、鎌倉時代の終わりくらいに、こういうことを言う人がいると解説されています。
「ひたむきに銭を蓄銭することを求める。そのようにしてこそ「徳」がある――つまり、「有徳」であるという考え方がはっきり出てくるようになります。このころ富裕な人のことを有徳人というようになっているのです。」
長者、いわゆるお金持ちの考え方は、そのときの常識から言うと変な考え方ですけれど、貨幣が本格的に機能を始めると、貨幣の取り扱いについて手慣れた特別な人達が出現するのですね。
それも、かなり古い時代『徒然草』ですから、鎌倉期の終わりにはそういう人達が現れ、活躍を始めるわけです。こういう特別な人たちは、金をもうけるんですけど、実は貨幣を扱う人たちということで、どちらかというと差別される階級。それが江戸時代も士農工商として、商が一番下の階級になっているという事があって、金をもうける、うまいやつというのは特異な能力を持っていて、実はすごく恐れられていたのではないかなと感じます。いかがでしょう?

 

飯田:
そのような網野史観にも近いものに「沈黙貿易」というのがあります。これは前近代の南洋諸島で行われていた貿易の方法です。ある人が、まだ使えるが、自分は必要なくなったもの、もしくは数多くもっているものを海辺に置いておく。そうすると、次の日の朝に適当だと思う量の別のものと交換されて、また海辺に置いてある。
これがマーケットの要点を集約しているのではないかと言われる。ここで重要なのは匿名性です。

 

川井:
明らかに顔と名前が分かる社会とは、贈与互酬型社会[*21]ですね。そこには匿名性がない。いかにしてそれを確保するか。
「沈黙貿易」では貨幣が仲立ちをしなくても、ものの移動が匿名の中で行われる。つまり、交換の市場が成立するわけですね。

 

飯田:
顔の見える取引だと、こいつが嫌いだとかという感情がどうしても入る。それに対してマーケットを経由した取引は匿名で行われます。匿名の取引は普段の生活では、ないわけです。「非農業民」とか、「常民ならぬ人」という言い方をするんですけれども、常民と常民の間で、双方が匿名化するようにマーケットは構築される。じゃあ、当のマーケットの「中の人」にいる人は何なんだという疑問が生まれるわけです。これは単純な上下関係による差別とは、また違った感覚なんですね。
例えば、士農工商は、考え方としては、また中国の秦の時代からありました。しかし、江戸時代当時の日本で、商人が農民や工人より下だと思っていた人がどれだけいるんだといったら、たぶん、いないんですよ。

 

川井:
確かに。しかも、浜とか海辺といった辺縁で行われていますね。異界との接点。網野歴史学で言うところの「無縁」ですね。網野さんはこうも話されています。
「市の場では、モノにせよ人にせよ、いったん、神の世界のものにしてしまう。また、別の言い方をすれば、だれのものでもないものにしてしまう。そのうえで、モノとモノの交換が行われるのではないかと思うのです。」
貨幣が介在しない時代から、市には「神」が介在し、非日常の世界の中で交換が行われていったのかもしれませんね。

 

飯田:
まさに無縁=匿名性ととらえると良いでしょう。だから、士農工商と言ったときに、商の人は「何かよく分からない人たち、別の人たち」だという区分になる。

 

川井:
そうです。「特異な人たち」ですね。

 

飯田:

そうなんです。だから、この階層序列は、「士農工商」ではなくて、「士農工、そうじゃない、何かよく分からない人」という感覚ではないでしょうか。
沈黙交易におけるマーケット・メーカーみたいな人は、じゃあ、どっちなんだというと、何か常民の、フェース・ツー・フェース・コミュニケーションの世界ではないところに生きている人たちというのが非農業民だと思うんですよね。
要は、この序列の外にいる人という意味で、いわゆる部落民の問題とかをやるときに、また違うものだと。
明治時代に整備したルールだと上下の階層になってしまっていますが、これはちょっと違うんじゃないかな。ラインの人と、ラインじゃない人という区別の方が良いかもしれない。例えば、いわゆる部落民や商人という人はラインじゃない人なんですよね。
例えば、浅草弾左衛門[*22]もそうですけれども、江戸の社会では、ある意味、王様の一人ですよ、浅草弾左衛門は。芝右衛門だってそうですね。 
ですから、日本の場合は、常民と、そうではない人というのがあって、そうではない人というのは軽蔑とも尊敬とも、どっちでもない不思議な感覚を持っているんですね。いまは商人を「別の人」と言っちゃったら、みんな別の人になっちゃうので、商人も常民になると思いますけど。
例えば、普通の人が、ホリエモン、堀江さん[*23]みたいなことをやると眉をしかめられるのに、堀江さんがこういうことをやると、わあっとなるとか。あれは完全に「ちょっと別の人」という区分があるんだと思うんですよね、日本人の感覚の中に。

 

川井:
日本人の感覚の中に、金をもうける異才に対して、すごく特別視、蔑視するところがありますね。例えば江副浩正さん[*24]のような極めて優れた、あの人は新しいサービスを開発した人だと思うんですが、製造業の人たちに対して尊敬するんですけれども、江副さんのような異才の人に対してはそうじゃないところがありますね。

 

飯田:
たぶん、それは自分たちがやっている普段の活動と違うことをしている人だからです。じゃあ、蔑視しているから差別的かというと、そうでもない。だから、やっぱり「別の人感覚」なんだと思います。だから、適用されるルールやパニッシュメント(処罰)の方も褒める方も、両方とも常民基準と別だったりするんです。

 

川井:
ただ、村上ファンドの村上さん[*25]彼は、日本のバフェットさん[*26]になる可能性のあった人だと思うんですね。彼のような人が才能を認められて、バフェットのように成長していくことができないと、たぶん日本の投資家とか優秀なファンドマネジャーというような人たちの目標価がそろわないのじゃないかなと。特にアービトラージ(裁定取引)、サヤ取りに対して、ものすごく嫌悪感がありますよね。
この問題を解消しないと、日本の金融政策の話を熱心にしても、なかなか、しんどいところが、また出てくるのではないかなという気がしますね。

 

飯田:
日本では「会社」が投機活動をしてもそれなりに許される。その一方で、個人や新興企業がやると批判される。俗に「出る杭は打たれる」という言い方をしますけど、出る杭が打たれるんじゃない。「ラインじゃない人」には厳しいといったほうが良い。
もっとも、ファンドマネジャーがすごく嫌われているかといったら、そんなことはないでしょう。みんななりたいわけですから。しかし、ラインじゃない人がラインに入ってくるというのを、ものすごく嫌がるんです。
例えば堀江さんや村上ファンドだったりすると、彼らが買収しようとした阪神電鉄やテレビ局がラインです。阪神電鉄は常民側なので、そこにライン外の人が入ってくるときにだけ、ものすごい圧力が掛かる。
それが常民の世界と別の世界というふうに分かれている限りは全然、文句を言わない。むしろ、堀江さんを面白がっていたわけです、テレビ局は。
テレビ局の、いわゆる大卒して一括採用で入って、40年後に取締役になる、あのラインに割り込もうとすると、「待て」と。「おまえはラインの人間じゃないはずだ」というのが始まるんですね。これが、すごく日本の典型的な内外の区別なんだと思います。

 

川井:
私には、いまだに江戸時代の武士階級があるような気がしますね。それとも、奈良町という関西独特の町屋文化のにおいが、江戸の武士階級文化に違和感を与えるのかもしれません。

 

飯田:
武士階級というよりは、やっぱり僕は常民になると思いますね。つまりは、武士は常民というか、ラインのトップたち。ラインの農民たち、普通の人たちというのと別世界がある。

 

川井:
そういう意味でいうと、文化の中で、やっぱり、そういう意識がまだ残っていると。

 

飯田:
すごく残っていると思います。

 

[*17] 石田心学
=江戸時代の思想家・石田梅岩(いしだ ばいがん、1685年~1744年)が説いた思想。「学問とは心を尽くし性を知る」として、心が自然と一体になり秩序を形作る性理の学としている。また士農工商の商人の職分については、「商業の本質は交換の仲介業であり、その重要性は他の職分に何ら劣るものではない」という立場を打ち立てた。
[*18]三方よし
=「売り手よし、買い手よし、世間よし」という、近江商人の行動哲学のひとつ。売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心の底から満足し、さらに商いを通じて地域社会の発展や福利増進に貢献しなければならない、という意味。
[*19] 松尾匡
=(まつお ただす、1964年~)日本の経済学者。専門は理論経済学。立命館大学経済学部教授。博士(経済学)。主流派経済学を理解した上で、数理モデル分析やゲーム理論を駆使したマルクス経済学を展開できる、日本では数少ないマルクス経済学者の一人。
[*20] 網野善彦
=(あみの よしひこ、1928年~2004年)日本の歴史学者。専攻は中世日本史、日本海民史。山梨県生れ。東京大学文学部卒業。日本常民文化研究所研究員、名古屋大学文学部助教授、神奈川大学短期大学部教授、同大学経済学部特任教授を務めた。
[*21] 贈与互酬型社会
=人類学における、義務としての贈与関係や相互扶助関係を意味する概念。
[*22] 弾左衛門
=江戸時代の被差別民であった穢多・非人身分の頭領の代々の呼称。幕府より関東の一部の被差別民を統括する権限を与えられ、触頭と称して全国の被差別民に号令を下す権限も与えられた。浅草を本拠としたため「浅草弾左衛門」とも呼ばれた。
[*23] 堀江貴文
=(ほりえ たかふみ、1972年~)日本の実業家。株式会社ライブドア元代表取締役社長CEO、SNS株式会社オーナー兼従業員、株式会社7gogoファウンダー。
[*24] 江副浩正
=(えぞえ ひろまさ、1936年~2013年)日本の実業家。特例財団法人江副育英会理事長。株式会社リクルートの創業者。
[*25] 村上世彰
=(むらかみ よしあき、1959年~)大阪府出身の投資家。2006年3月から6月まで、ソフトブレーンの社外取締役を務めた。M&Aコンサルティングを核とする、村上ファンドを創設した。
[*26] ウォーレン・エドワード・バフェット
=(Warren Edward Buffett、1930年~)アメリカ合衆国の著名な投資家、経営者。世界最大の投資持株会社であるバークシャー・ハサウェイの筆頭株主であり、同社の会長兼CEOを務める。長期投資を基本スタイルとし、長期間に渡って高い運用成績を残している。