対談

【収録 2013年6月21日(金)】

第8回貨幣が生まれた時~貨幣から語る世界経済史~ 5 / 5

需要と供給のバランス、金融を体感的に理解すること

川井:
最後に、リフレーションが成功しつつあります。長い時間がかかった理由に、これまでの日銀の施策の失敗など諸々ありますが、私は日本人自身が金融政策を体感的に理解できる瞬間がないからではないかと思います。それをどうやったら学べるのか、かつての人たちは、どうやって学んでいたのかを知ることが大切だと思うのです。
先生に、この奈良町の話をした理由として、奈良町には「数珠送り」といって「会所」に集まり、お盆に精霊に祈るという行事があるのです。それを「講」と言います。
数珠の長さが決まっていて、みんなで輪になってそれを回していくのですが、10人のときは去年の数珠でいいけれど、12人に町内の人間が増えたら窮屈になるわけです。そうすると、数珠玉を増やさなければならない。そこで、早く回すとか、遅く回すとか、窮屈だな、玉を増やそうとか、そういうことを通じて、実は「調節する」ということを感じることができたタイミングじゃないかなと思います。体で覚える調節です。しかも、こういう風習は奈良町だけでなく、京都にも残っているのです。先祖供養と仏教への信仰という形を通して。

 

飯田:
需給なんですよね。この需給という感覚が、まるで分かっていなくて、いまだにコストに一定率を掛けたものが価格だと思っている人は多い。
確かに個々の企業は、そうやっているところは多いですよ。けれども全体の物価は、そういうものではなくて、まさに需要と供給で決まっているのです。

 

川井:
「価格は市場が決定する」ですね。私もあるとき「労働価値説」だって若田部先生に注意を受けました。貴方の考え方は「労働価値説に基づいている」って。
それを、例えば、じゃあ、人口が減ったら数珠玉を減らしていくのかというと、そうではなくて、法人というものが増えていくと、数珠玉は絶対にずっと成長させていかないといけないということです。

 

飯田:
徳川吉宗の成功は、日本の当時の経済規模の拡大に合わせてマネーを注入したことにあります。要は成長通貨。でも、その成長とペースを合わせた通貨の増大もないと、すぐ過剰生産デフレに終わって何も羽ばたかない。
ですから成長するのであれば、必ず、それに先行してマネーも見合いで出していかないといけないという、その需要と供給のバランスという視点をもうちょっと持ってほしいなと思います。皆がそれを意識していると、どんどんマネーのこと、金融政策のことが分かってくるんじゃないかなと思います。

 

川井:
先ほどの、関西・畿内に残る独特の文化のようなものが、近代化と同時に失われていった事は、とても残念なように思います。明治天皇が新しく、造幣局を建設されたとき、その応接室を「泉布観」と名付けられました。泉布というのは、お金の別名で、泉のごとくわき出て、布のようにあまねく広く行き渡るように、観は館をあえて観想の字を当てられたものです。
これは、あきらかに、金融政策が順調に進むことへ祈りを込められたのでしょう。その建物が、関西、大阪の米会所のそばにあることを、私たちはもう一度、考え直す必要があるのかもしれませんね。

本日は貴重なお話をありがとうございました。