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2016年06月30日(木)

「暴力」というハードパワー、「文化」というソフトパワー

ハーシュマンのことが好きなのは、彼の言説も素晴らしいこともある。
しかし何よりも、不屈の魂を持っているからだ。

 

浜田先生に研究会の開催をお願いしたのは、3年前アベノミクスが順調に滑り出し始めたときだった。あの頃、消費税の問題を気にはしていたが、これほどの悪影響が出るとはまだ予想していなかった。

あのときに、生誕100年を記念しハーシュマン研究を行っていたら、今回の英国の「離脱」問題においても、何が起きているのかより普遍的な問題に落とし込んだ深い言説が展開されたに違いない。増税問題で、忙しい過ぎて話が進まなかったのは、残念なことだ。

 

ナチズムが荒れるドイツの環境から、イタリア、そしてスペインへと逃れるハーシュマンは最後の最後までギブアップすることがない。
レジスタンスとして帝国主義・ファシズムと戦う人でもあった。

 

私は戦争が大嫌いである。 
戦争が好きな人間などいないだろう。

 

しかし、社会の変化によって、自由や人権のために、戦わざるを得ないときがある
その時、命がけで何と戦うか、自分の戦いが正しいかを確信持てるように、常に自問自答しなくてはいけない。

 

観光の仕事を選んだのも、これが最高の平和貢献事業だと考えたからだ。
国と国が相互不信に陥ったとき、最後の砦になるのは、人々の関係性だと思っている。

 

あの人ばどうしているだろう、と来し方を思い起こせること そういう相互の信頼関係の構築が「平和と安全」の砦を築くのだと思う。

 

「戦争反対」「憲法9条を守れ」というお題目が唱えられるのが気になる。
お題目を唱える人は、「憲法9条」さえあれば、戦争に向かわない、と思っているのだろうか。
ヒットラーが出現する前のワイマール憲法がどれほど、民主的なものであったのか。 
しかし、その後、ナチズムの嵐でヨーロッパ全土が戦争でずたずたになった歴史をどのようにとらえているのだろう。

 

「戦争反対」のお題目は、本人の心を平安にさせるかもしれないが、そんなことで平和が守られるはずがない。
国家が国民を虐殺するシリア問題をどう考えているのだろう。
もう少し、真剣に現代社会の問題に頭を悩ませること、自分の不安と向き合うことが重要ではないだろうか。

 

「戦争反対」題目より、「南無阿弥陀仏」のお題目のほうが、機能する範囲が広い。 
「戦争反対」は国際紛争に関してのみしか機能しないが、「南無阿弥陀仏」は現世の不安全てに機能する。
だから、お題目を選ぶのであれば「南無阿弥陀仏」へ絶対帰依するほうが、効果的だろう。

 

お題目は、本人の心に安心を与えるかもしれないが、決して安全保障上問題を解決したりはしない。 国際間の紛争とは、力と力のバランスである。
経済が、市場で競争されるマネーのバランスであるように。

 

但し、力の中には「暴力」というハードパワーもあるが、「文化」というソフトパワーも存在する ハードパワーの暴発を防止するためには、ソフトパワーを少しでも充実させることである。
私は無力な人間であるが、ハーシュマンから「あきらめない」「戦うべき時は戦う覚悟を持つ」の2つを学びながら、ソフトパワー「文化力」の発信という戦場で戦っていきたいと思う。

 

本当に戦争を避けたいと思うからこそ、私は日本のソフトパワーを育てることに尽力したいと思っている。

 

【Facebookタイムラインより】2016.06.30 (木)

 

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