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2017年07月24日(月)

【長期シリーズ】「サピエンス全史」と「ITと文明 サルからユビキタス社会へ」読み比べ

前回の「サピエンス全史」の続きです。

 

文明論として、霊長類の発生から読み解くという壮大な構想はすばらしいのですが何か食い足りないなぁ、という感じがします。
そこで、少し前、2004年に出版された日本人の手による文明論「ITと文明 サルからユビキタス社会へ」と読み比べてみました。

http://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100001501

 

尊敬する梅棹忠夫先生が巻頭と巻末で語ることで、この本はぐぐっと「確からしさ」と同時に、大きなスケールで物事を観察し分析することを教えてくれるすばらしい本でした。

10年ぶりに読み返して「サピエンス全史」のおおざっぱな議論とは異なり、生物学者によるサピエンスという種の観察、科学的分析力とはこうだ!とばかりに述べています。
ガツンとやられた気がします。

 

梅棹先生は、生物学・生態学者として研究を始められました。そのため、人間も生物の一種と見なし、人間社会を生態学の手法で分析されます。
 
日本と西ヨーロッパ、ロシア、中国を比較したときに、日本と西ヨーロッパはよく似ていて、自成的遷移(autogenic succession)、内的な力によって、自分自身が変わっていくという似た歴史過程を持っていたと分析されています。

反対に、中国やロシアは(中東もそうでしょうが)他成的遷移(allogeneic succession)外力による破壊を伴う変化、環境の外側からの力で変化する事を余儀なくされてきました。その背景より、文明論から日本と西ヨーロッパの近代化は、別々の場所で同時代的に起きたことなのだ、と分析されています。

 

さらに、人類の文明は、農業革命→工業化時代→情報化時代へと変化するのは歴史的に必然だろうし、この情報化への変化は止めようがないと1960年代から分析されてきました。

 

一方で、情報というのは古くから存在しており、それは生物の「外胚葉」にあたる。それが産業化されるのは生物学としては必然のことだろうと。

何よりの名言は「神様は情報である」という言葉です。

これは、サピエンス全史でハラリが説明する「虚構」と同じ意味だろうと思います。しかし、梅棹先生が何十年も前に、この話題について解説をされています。

 

とはいえ、文化人類学の書籍、レビストロースなどの本を読んでいない方には、ハラリのような全体を解説してくれる内容も大切かもしれません。むしろ「サピエンス全史」を読んだ後だからこそ、梅棹先生のすごさが改めて分かったかも。

 

日本に生まれて幸せなことは、このようなすばらしい学説を原文で読めることです。私たちは、ハラリの文明史よりも、より精緻な科学的な分析に基づく議論をしてきたのだなぁ、と改めて民族学博物館の業績に納得した1日でした。
 
皆さまも時間があれば、ぜひ「ITと文明」を手に取ってみてください。一章・二章と最終章だけでも、読む価値のあるすばらしい一冊でした。

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